作曲家・富山優子 音に言葉

日々之音楽・思考・言葉

siN WaVE

6月2日
よくはれた 幼児に囲まれる


知らないこと出来ないことが沢山あることに気づく日々ではあるが、それでも少しずつやらねば時間はあっという間に過ぎるだけだろう、いちおうの危機感を抱きながら日々のことをやるのだが、それでもほんのすこし疲れることがあるときに聴く音楽がある。



弱く優しく包み込む音の堆積で徐々に五感を奪い、深い瞑想へと誘う類いの音楽。
もしくは、一定の速度で頭部に打撃を与え続ける類いの音楽。
それは人を難しく考えさせたりはしない。
それはひたすらに心地よくさせてくれる。
それは人を掴んで揺さぶったりはしない。
それは強く訴えかけてきたりはしない。
それの裏側を心配することもない。
それは次第に思考能力を奪う。
それはそれだけでしかない。しかし、
それだけでしかないことが楽にしてくれることもある。
それはまるで女にとって「遊びだけの男」みたいなものかしら?知らんけど。



「それでしかない」ことは「わかりやすく」もあり「安心して接せらる」ともいえる。TDLに行けば必ずミッキーさんがおもてなしの姿勢を見せてくれるし、マックドナルドのハンバーガーはいつでも同じ味なのだろう。ある休日に訪れたらミッキーさんがギターを振り回してシンデレラ城に叩き付けていたであるとか、マックドナルドのハンバーガーがある日前触れも無くパスタに変わるであることは起こりようがない。
変わっている、他と比べたら異常であることですら、安心させるためには不変であろう。中日ドラゴンズのマスコットであるドアラは、いつも変わらずに変わったことをする。そこにノイズは乗らない。裏など見せない。ブレも無い。それでしかないことを徹底して実践する。


そういった類いの音楽が或る意味ストイックだとも言えるし、扁平であるとも言える。一部同意するとともに物足りなさも感じてしまう。
音楽だけじゃなくって美術でも文学でも映画でも真剣にやっていれば深くにあるものに触れずに済むわけがないし、それぞれ深くに抱えるものが単一であるはずがないのだ。神聖であり邪悪であり慈愛深くあり残虐でもある。欲深く怠慢であり淋しがりもする。良心を持ち理想を掲げても裏切られ傷つくことだってあるだろう。確かに存在することの感じられるそれらが一体何なのかはその都度でしか言い切れないが、複雑であることを自覚しつつ、複雑であることを言い訳にしないようにしよう。


ただ、ひとの心はよく傷つくことがあり、よくほぐされることがある。
そのことだけはわかっていよう。