作曲家・富山優子 音に言葉

日々之音楽・思考・言葉

さくっと

6月17日
くもり すずしい

久し振りの仕事場で一寸疲れたので、夕刻から実家近くの温泉へと向かった。
多摩丘陵に面した田舎情緒満載の最寄駅に降り立つと、駅前の数少ない飲食店の一つである某焼き鳥屋に赤提灯が眩しい。

「…肉!」

最近余り食欲が無く、野菜と麺類中心に生きて参りました故に血液が乏しいような気がしていたので、レバーでも食そうと思い店に入った。ようは居酒屋なので、主に仕事帰りのオジサマ方で賑わっておりましたが、女性の一人客も居ないわけじゃない。いやむしろ一人客が割と居るので安心して肉を喰らい、ウーロン茶を呷り、おそらく有線から流れてくる80年代ヒット曲(崎谷健次郎の曲があったから多分)を小耳に挟みつつ、山下洋輔の論文「ブルーノート研究」([新編]風雲ジャズ帖に収録)を開く。
「…わからんなぁ」

元来、音についてあらわされた文章を読んだだけで理解できるほど頭がよくないのだ。しかも音楽について説明した文章を読むと「なんかわからんがわかった」気になってしまうので、非常に危険だとも思う。「読んだだけではわからん」ことをわかっておく必要がある。
この本が意味をもっていきいきと語りかけてくる一番の場面は、普段からジャズの演奏をしている人が読むときなのだろう。

少なくとも、レトリックのみで終わらないように、伝達手段として言葉を扱うことは並大抵のことぢゃぁないのだ。
(音楽のための音楽、文章のための文章、理論のための理論が持つ巧みさや美しさの価値も認めるし、素晴らしい技巧に嘆息することも多い。でもそれだけじゃだめだ。「技術を持つから良い作品だ」の言い方も、「技術を持たないから良い作品だ」の言い方も同様に違う。それは何も言っていないことと同じ)
惑わされぬよう、自戒をこめて。



6月18日
くもり すずしい

これはこれは一日中最悪の状態でありました。
全身疲労と倦怠感、常に睡魔襲来。
昨日の長風呂で体力を使い果たしたものとおもわれます。癒されるための基礎体力すらも低下していたのでしょう、軽くショックです。結局、昨日は肉のあとに風呂で、岩盤浴を含め計3時間ほど居りました。天然温泉と釜の露天風呂が気持ちよかとです。女性陣が物凄い勢いで全身に塩を塗りたくるサウナ風景も目撃できました。
なのでこの日はサイトの更新を仕掛かったくらいであとは夜8時には寝ました。

サイト更新中のため、こちらから閲覧をお願いします。
http://www.cat-rat.sakura.ne.jp


過去の遺物を整理しましょうキャンペーン中の現在、自分でも忘れかけていた過去の活動記録がインターネット上に転がっているのを発見してしまったり、過去のファイルを自分のコンピュータ内から発掘してしまったり(困った時代だ。どうしても痕跡が残ってしまう)、その都度自己嫌悪やら反省やら後悔をしまくっていて気も塞ぐが、やってしまったものは仕方がない。無駄にしたものは返ってこない。少なくとも怪我の功名ともいえるのは、過去の過ちや勘違いを同じように繰り返すことはないだろうから、無駄をしたぶんは今後無駄に成り難いと安心出来る 唯其の点に於いてのみ良かったと思える。畢竟それだけだ。