作曲家・富山優子 音に言葉

日々之音楽・思考・言葉

昨日はあんなにも晴れていたのに

雨がよく降るね。


何かが気になっているようで不眠ぎみ。それでも色々なことが良い方向へつながりそうな気がしているから、まだ良いはずなんだけど。拠り所が定まらずに心もとないかんじです。これが朝というやつです。


で、夜中に何度か目覚めた際、インターネットに接続して強烈に感じたのは、インターネット世界では時間が完全に「停止」していてそれが淋しすぎることです。人間の痕跡だけが残る、荒涼とした無人の景色。今まではその淋しさ(∽無責任さ)が気楽でもあったが、やはり気持ちが落ちている時に見るとくるものがある。
メールですら本当はそう。ただ一方的に情報を投げるか投げられるかして、時差をともなうあまりにも稀薄な接続を信じるしか方法はない。無いよりはずっとマシだから使うけれども。メールが一般的になりつつあった頃、やっぱり皆、文字だけのコミュニケーションに慣れていなくて、誤解を生んだり、結局電話して済ませたり、ということがあったと思う。ネチケット・メールマナーに過敏なほど気をつかったものだ。

と考えると、いまこうして書いている文章がどれだけの誤解をも生みかねないと考えるだけでおそろしい。とはいえ、直接会って話をしている最中ならば本当に真意を伝えられているのか、それも甚だ疑問である。にもかかわらず、こうやってしつこく書きつづけているのは、見てくれる誰かと(時差はあれど)つながるためと、書くことが思考なので書かないとつぶれそうになる自分を救うためと、書くことを正しいと思い要求する自分に答えるためです。ガラス瓶に手紙を詰めて海に向かって投げるのと同じです。



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