作曲家・富山優子 音に言葉

日々之音楽・思考・言葉

未だ見ぬあなたへ

結局のところ、余りにも心身ともに疲れすぎていたため、2日ほど昏々と眠っていた。
沢山の夢の中に何度も同じ屋敷が出てきたのと、常に大量の人や乗り物が出てきたのが印象的だった。私の周りには通常、驚くほど人が居ないのに。


久しぶりにクラシック音楽を真っ正面から聴いて、済まない、と思った。愛しているなら敬えばよいだけで、なにも逃げることなんてなかった。あんなに好きだったラヴェルを聴いた。全く聴けなかったマーラーを聴いた。ずっと過小評価していたプロコフィエフも、ヴェルディも、ワーグナーも。美しいものを美しくないと言うなんて、どうかしている。美しさに但、驚いて泣くだけ。それが人間の作り出した美しさであることに但。


降り続く雨をぼんやり眺めているうちに休みが終わったので出勤、今日は意識覚醒レベルが非常に低いまま仕事を終える。そんな状態で成り立つ仕事ってどうなんだろう、とも思う。
でも、それでいいのかもしれない。自分が頑張るレベルよりも少し低く設定して、馬鹿の素振りをして、なんとなくやり過ごせばそれで済むのかも。毎日のことだから・・・毎日をやり過ごせる賢い人たちが私にくれた言葉を思い出した。「頑張らないぐらいが丁度良いんだよ」って言葉を、今まで沢山たくさんホントにたくさん貰ったわ。


外向きの営業めいた文章を書くのは随分と疲れるし、他人の評価や批判をすることも億劫だ。少なくとも自分には向いていないと感じるし、違ったやりかたで訴えかけることは出来る、破綻しかかった崖っぷちに咲く弱々しい花を一瞬でつかみ取りたいから、いつまでもジタバタしている。真っ直ぐなものは、どうしても歪(いびつ)で、他には代え難い輝きを放って目の前に現れる、いつだって、いつまでもだ。
なにもオ高く止まって他人に理解されないものを作るつもりなんてない、不器用な言葉と音の間に生じる軋みを掬い取りたいだけ。誰でも感じるけれど未だ目の前に立ち現れては居ない”モノ”に”カタチ”を与えようとしているだけなんだってば。


ほんとうのことを書きたい。果たしてあなたは イエス と云うかしら?


ノー・ミュージック・ノー・ライフ?嘘だね。ライフの為だったらミュージックを捨てる人々を沢山見てきたよ。賢明な彼らは、ミュージックのためにライフを半分捨ててきた私をきっと笑うだろう。堅実な彼らは、ミュージックと一緒くたに私のことを捨てるだろう。そのときは、私がミュージックと同類に扱われたことを心から誇りに思おう。



ミュージックは懐が広いからね、何年だって何十年だって何百年だって私たちのことを待っていてくれるんだよ。



だからといって、私は今すぐにでもあなたに聴かれたいのだけれど。