作曲家・富山優子 音に言葉

日々之音楽・思考・言葉

同級生と語らう / 拙作が演奏されました

昨日あたりで制作が一段落ついたというのもあって、高校の友人に会ってきた。
私と彼女はここ最近、縁が復活したのだけど、高校生の時に殆んど出来なかった話(人生とか?悩みとか?私はそういった話が大好きなのだけど、あんまりそういうことを話すと鬱陶しいかしら?とずっと思っていた)が最近になると出来るのが面白い。ああ、やっぱりそこ悩みどころですか。みたいな。
私が以前から気になっていたけど休業日だったりして行けてなかったカフェを彼女が突然指定してきたあたりも、同じ時代を過ごした間柄という気がした。民家の一室に限りなく近い、線路沿いのカフェで色々話した中で一番印象的だったこと。


「なんかさ、2つのものが並んでてどっちか1つを選ぶ場合、しょぼい方を選んじゃうの。今までずっとそうやってきたの」



ものすごくよくわかります。
良くも悪くも、私たちはとても優しいんだと思う。相手のためを思って、どっちでもいいよ、って言ったり、良い方は相手にあげようとする癖がついているというか。もしくは、遠慮癖。それはあれですね、飲食店に数人で入って「何にする?」「おいしいもの食べたいよね」「これ、おいしそうじゃない」「ほんとだ」「これもおいしそう」「なんでもいいよ」と言って、誰からも積極的にオーダーしなかったりとかにも近いものがある。何故、常に自己犠牲的なのだろう?って思うほど、自分を主張したがらないというか。何かを待っている感じ、伺っている感じ、をたまに同世代に対して感じるときがあるのでまさにそれよねーと思った。なんだろうそれは。自分だけが得をするようで悪い、ってことなのだろうか。我慢と謙譲の美徳?一体何に対して、そんなに遠慮したり申し訳なく思ったりしているのだろうか。その感覚がものすごくよくわかるのだが、それが何なのかはまだわからない。不思議なことだ。一体何を待っているのだ。一体何を恐れているのだ、私たちは。

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その後、夜は四谷天窓コンフォートにて、連弾ひきがたり系ユニット「よろめき団」ワンマンライブに行ってきました。
よろめき団さんが、私の曲「ルフラン」を気に入り、ライブで演奏してくださいました。

よろめき団は、メンバーさんが留学のため今後の活動は未定とのことで、今回の企画タイトルも
「しばらくさよなら音もだち」
なるほど。
満員のお客様で熱気溢れる四谷天窓コンフォート。よろめき団は音楽大学出身なので、おそらくお客様も音大系が多いのではないか。そんな中で、私の曲はどう聴かれるのだろうか。興味しんしんです。自作が人の手で演奏されるのも久しぶりなので、こちらも熱がこもります。
しかも、セカンドステージの中盤 楽しい「スーパーマリオメドレー」の次にルフランを演奏するというではありませんか。ナイスポジション。

よろめき団のお二人が、交代に歌ったり同時に歌ったりしている姿が、この曲にあっているなぁーと強く感じました。
私が一人で演奏するよりも良いんちゃう?
英語詩の部分は男性が歌うのもなかなか素敵だわ、などなどムフムフ楽しみました。
セカンドステージ終了後、お疲れ様でしたの意味を込めて楽屋に花束を持って挨拶に行きました。お友達に囲まれている中で
「富山です」
と声をかけると、女の子達が
「あっ富山さん!?あの曲よかったです〜!!」
と言って、揃って「ルフラン」の冒頭を歌いだしました。いま聴いたばかりなのに、さすが音大生、スキルが高いです。
次は原曲を聴きに来てね☆

曲紹介をしている間、後ろの席の女の子達が
「ルフランってなんだっけ」
「なんだっけルフラン」
「・・・花?」
と話していました。流布蘭、かなぁ。
よろめき団は、いま私が勤めている音楽大学の卒業生なので、おそらく女の子達もそうなのでしょう。強固な縁を感じます。

よろめき団さん、お疲れ様でした!この縁が続きますように。ルフラン。