作曲家・富山優子 音に言葉

日々之音楽・思考・言葉

パソコン直った

しばらく入院していたMacが戻ってきました。
よかったなぁ。


私には、こう見えます。




この絵だと、立派なんだかしょぼいんだか、となっちゃいましたが。
Macの居ない間、ThinkPadを使っていました。音楽データを保存している外付けHDDはMacでしか読めないフォーマットなので音楽が聴けず、ThinkPadに残っていた僅かの音楽データはBjorkのみ。音楽を聴かなくてもけっこう生きていけるみたいです。そのぶん脳内HDDの読み書きで過ごせるというか・・・。それもそれでどうかと・・・。



ライブの話。
次の5月29日も、その次の6月12日も、ライブは土曜日です。
土曜日だと朝もゆっくり出来て、声出ししてから行けるから楽ちんなんです。
演奏前に発声練習が出来ない環境で演奏するのは大変ですよね〜。



仕事の話。
5月から授業が始まっていて喋るのも段々と疲れて来ていますが、生徒がキャッキャ喜びながら実習しているのを眺めるのが唯一の癒しです。



リズムの話。
テクノって踊りづらい音楽だと思うんだよね。踊るっていうかエアロビクスと似てる。一定の機械的動作を反復し続けようと人間がするならば、絶対にどこかでずれてくる。だし、そういった人工的な特徴があるからこそテクノなんじゃん?だけれども、生物が呼吸を停止しつづけられないように、人間が息継ぎをしないのはやっぱり無理があるよ。テクノで踊るって行為自体、肉体を無視する前提で肉体を動かしているんだから、矛盾を承知で楽しむというか、楽しみながらも自分の肉体を感じたらいけないんだろうねきっと。なんだか勿体無いような気もする。



歌詞。
音楽をやるつもりで西洋の器楽曲を勉強していたはずが、いつのまにか歌詞が重視される作品を書くようになっていて、自分でもおかしいなあと思っています。だけれども小説家が必ずしも良い歌詞を書くわけではないとも思うので、歌を歌うのなら、音楽の中で言葉を扱えるようになる努力をするのは必要なんだと思うことにしました。それにしても、何で必死に、音楽よりも言葉を扱えるよう頑張っているんだろう。言葉も音楽も、誰かに習っただけでは全然駄目で、自分で発見していかなくちゃなんないってことなんでしょう。ここは21世紀の日本だし。



ちょっくら海まで逃げて走って転んできます。