作曲家・富山優子 音に言葉

日々之音楽・思考・言葉

雑談1

年賀状を書き終えたら風邪を引き、風邪を治していたらクリスマスが終わり、曲を書いていたら年末が迫っていた。


毎度、年の瀬が近づくと当ブログで一年を振り返って噛み締めるのが常だったような気がしますが、今年は色々なことがありすぎて、噛み締め方がわかりません。
お世話になったほうぼうの皆様に御礼を申し上げます。まことにありがとうございました。
来年も、一緒に色々やりましょう。



『勉強とは学校でするものではない。学校で教えてくれるのは勉強のしかたであり、学校を出てから自分で本当の勉強をするのだ。』


という言葉は有名ですか?
最近どこかで目にし、かなり衝撃を受けた。
早く言ってくれよ・・・的な。
事実、卒業してから興味を持った脳科学やポピュラー音楽についての本を探しまくり、鼻息を荒くして読みあさっている自分を顧みて、馬鹿か暇なんじゃないかと思う時が何度かあった。
良く聞く発言で「学生時代にもっと勉強しておけばよかった〜〜〜」というのがあるが、勉強したければ今から自分で出来るではないかという言葉が喉まで出かかったが飲み込んだ。
ようは、自分ひとりで勉強を続けるのは難しいということなのだろう。それはそうだ。毎日決まった仕事をし、その他に勉強をする時間を決めてやり遂げるのには、強い精神力が必要だ。しかも単なる勉強だけだと終わりもなく、勉強の行き場というか行き着く先は一体どこなんだ?と不安になりはしないか。



一体なんのために、学校を出てからも勉強するんだろう。



それはやっぱり、他人の生活を豊かにするためなんじゃないのかな。
一人のひとはたいてい、一分野しか出来ないけど、他分野で勉強している人からの恩恵を多分に受けているはずだし。
ひとくちに勉強勉強といっても、生活の知恵とか、人智みたいなもんで、それのおかげで、誰かが勉強の成果をまとめてくれたものを読んだ私は趣味の園芸に勤しめているし、料理が出来ている。他人に与えるために勉強をしている、それを来年はよく心に留めておこう。


また角田光代さんの本を読んでいる。
『この本が、世界に存在することに』
本にまつわる短編集。本との出会い、別れ、再会、本と一緒にくっついてくる人々との思い出、人々への思い。本を読みながら人について思いを巡らせるのは、なんだろう、温泉場で過ごすみたいな安心と贅沢さを感じる。ここではないどこかのことを、思い出したり、心配したり、そんなことが出来ている時間は安全なんだ。
短編の一つに、若かりし頃自分が古本屋に売ってしまった本に旅の先々で何度も出会う話があるんだけど、それを読みながら私は、まさにこの本を以前にも借りたことがあると思い出した。さすがに気づきました。

それにしても最近の読む本は角田さんの本ばかりだ。読書ストーカーか?彼女の何が好きなんだろうな〜と、ふと考えた。奇抜な設定があるわけでもなく、非日常の冒険があるわけでもなく。学生時代に吉本ばななが流行ったが、あれは究極の癒しと奇跡を書いていた。疲れ果てた当時の女性達に注入された、束の間の癒しを与える夢物語。確かに即効性はあるなと今でも思うし、読むとふわっと暖かくなり、自分がとても丁重に扱われているような気がする。だが今は余り入り込めない。焦らなくていいよ、しあわせは、ちっぽけなしあわせは、あなたのすぐそばにあるんだよ、と言われれば言われるほどに、焦る。
角田さんの小説は、いっけん奇抜な設定だ。元恋人の子供をさらって新興宗教に逃げ込む女、旦那の不倫相手が息子を誘惑する話。だがそれだって似たような事件は本当に起こっていたわけだし、変質していく主人公の女性だって、もとは普通の一市民だったはずだ。平穏な日々を和紙で漉していくと、とてつもない姿に変容していく、その過程を暴きだす角田さんの確かな着眼点がとても好きです。



それにしても、早く来年にならないかな・・・。年末は、クリスマス→忘年会→大掃除→年越し と、なんだか慌ただしくて、めまぐるしくて、あんまり好きじゃないです。それよりは、年始にシーンと街が静まり返り、人や活気をあまり感じられないようすのほうがまだ、良いのだけど、それにしても寒いのはいやだね。早く春になってほしいです。


それじゃ良いお年を!


たぶんまた年内に書きます。