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作曲家・富山優子 音に言葉

日々之音楽・思考・言葉

反省・満月・魔術

まず始めに、反省しなければならない。

ここ最近、ツイッターでくだらないことを呟くのにかまけ、本ブログがライブ告知場かレコーディング日記と化してしまっていた。

ブログに自分の名および職種を冠しているのでそもそも使い方は間違っていないのだが、本ブログは、思考を文章化するための場所のはずである。

 

ツイッターに多少書き込むだけで、書記衝動と自己承認欲求はこまめに満足させられる。

ツイッターは、それこそつれづれなるままに、心の赴くままに、文章としてまとめなくても思考をダダ流ししても許される場所である。というか、そのような場所になってしまっている。

自分のブログでそれをやるなら、まだよい。読みに来てくれるのは、自発的に訪れた読者であり、つまらなければ去っていく。

しかしツイッターでそれをやってしまったら、数少ない心優しきフォロワーさんたちのタイムラインに、くだらん文章の細切れが無駄に流れていく。読みたい・読みたくないにかかわらず、ダダ漏れで強制的にTLが埋まっていく。

大変申し訳ない。

 

では、ツイッターとは何のために存在しているのだろうか?災害情報以外で役に立つことなどあるのだろうか・・・そもそも何かの役に立つツールではないのかもしれない。目的ではなく、技術があるだけなのかもしれない。

 

 

まぁそんなこんなで従来のくだらんブログに戻すが、連日のパソコン作業とクーラーに体が悲鳴を上げたので、決して近くは無い近所の温泉に自転車で行ってきた。

自転車といっても自分で転がってくれるわけではなく、私がこいでいった。

何度読んでも笑いがこみあげてくるギャグ漫画『テルマエ・ロマエ』ばりの古代ローマ風を装った露天風呂につかり、もうすぐ満月を迎える月を仰いで阿呆のように口をあけていたら、ふと一文が頭をよぎった。

 

「満月の夜に洗面器へ紅茶を張り、満月を映しながら髪の毛をすすぐと髪が美しくなります」

 

この一文を私は昔、おまじないの本で読んだ。

我らが少女時代はオカルトブームが下火になりつつある頃だったが、その手の雑誌はちらほら残っていた。男子だったらUFOやネッシー、女子にとっては占いやおまじないが華やかなりし頃で、私も熱心にその類の本を読んでいた。

そもそも子供の頃から労せずして得ようという考えを勧める大人に問題があるのは否めないが、当時の財力や知識では髪を美しくする術を持たない少女にとっては、おまじないブックに書かれていることが神の指南にも思えた。

だがそれらの本にはビックリするような無茶かつ編集部がテキトーに考えたっぽいことも沢山書いてあった。今でも痛烈に覚えているのが、

「好きな人を振り向かせる方法:ヨーグルト味のキャンディを粉々に砕き、『振り向いて』と念じながら彼の背中にふりかけましょう」

というものだ。何かを背中にふりかけられるほどには近づけない相手であるからおまじないに頼ろうとしている少女には難易度が高く、しかも本当に振り向いて気づかれたら絶対に嫌われる迷惑行為だ。時期が夏だったら、確実に彼の背中はアリにたかられている。

これを本当に実行する人が居るのか・・・?幼い私は震え上がった。

 

だが見渡せば、女性は年齢に関係なく、おまじないや占いが好きだ。風水本はコンスタントに売れているようだし、巣鴨では婆ちゃんがお守りを買うだろう。そして私もいまだに正月にはおみくじを引き、神社の枝に結ぶ。

何故占いたいのだろうか。そこには、そこはかとない優越感が潜んでいる気がする。みんな未来を知らないけれども、自分だけは未来を知っている。自分だけは守られている、という優越が安心へとつながる。

占いが真実かどうかは、未来が過去になってみないとわからないのに。我ながら変なの、と思う。

もしも占いで最悪の未来が見えたら、ガッカリするだろう。

 

そうなのだ。

女性は、未来に良いことが待っていると思いたいのだ。

また、頼れる人から「こうしたら良いよ」とアドバイスが欲しいのだ。

未知の状態には耐えられないのだ。未知との遭遇なんて、恐ろしくて考えられないのだ。

たぶんそうだ。

 

不思議なり・・・女だらけの入浴大会で、ぽかんと口を開けながら月を眺めるふりをして女性を眺めていた。

黒褐色の天然温泉で、私の髪も少しは美しくなったろうか。

 

もうすぐ満月である。