作曲家・富山優子 音に言葉

日々之音楽・思考・言葉

癒し系?


音楽鑑賞はコンソレーション(慰め)となる。
流麗な管弦楽曲も激しいロックも柔らかなボサノバも攻撃的なダブステップも、編成や曲調に偏りなく、聴きたいものが慰めとなり、癒しとなる。

最近読んでいる音楽療法の文献にはクラシック音楽の実例が多数書いてあるが、クラシックに限らず、音楽から喜びを得ている人が実際にたくさんいるのだ。





『ツレがウツになりまして』という本が出版されたくらいから、うつ病という単語が市民権を得、誰にでも起こりうる身近な問題として語られるようになった。
以前なら「更年期障害」といわれた体調不良も、思春期の「反抗期」の一部とされたひきこもりも、うつ病の疑いがかけられ、今となっては国民の過半数がうつ病なんじゃないかと疑ってしまうほどだ。
うつ病は病気です。投薬を続ければ治る病気です、とされ、大量の薬が処方される昨今。


危険である。


人間はパンと水だけでは生きられない。良好な人間関係を築き、愛情を受け渡すことができ、日々の楽しみを得、生きがいを作り出すことが出来てはじめて、より良く生きたがっている自分に気づく。
その中でも音楽は、ある人には趣味であり、ある人には生きがいであり、ある人には創作の糧となる、重要な人造物だ。
音楽療法の文献で、うつ病の人に投薬するのではなく、音楽で安らぎと喜びを与え、十分な睡眠と栄養を摂取できる状態にする事例を読んだ。それらの事例が、まるで自分のことのように共感できるのだ。人間ほんらいの自己治癒機能を稼働させるため、異常な状態を正常に戻すことが音楽に出来ているような気がする。
そして観賞だけでは飽き足らない人間が、創作を始めるのだろう。創作することで当人が癒えていき、創作されたものを観賞する人々も癒えていくのなら、まさにいうことのない極楽である。