作曲家・富山優子 音に言葉

日々之音楽・思考・言葉

香辛料は1ヶ月(本当にあった長い話)

ここ数年気になっていた、トルコ料理店へとうとう行った。

何度か店の前まで行ったことはあったが、いつも閉店だったりランチ営業が終了していたりで、入れたときは嬉しかった。

ベリーダンス用のステージがあり、店内には舞踊音楽が延々と流れている。

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料理は独特の香辛料が効いている。

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香辛料、ときくといつも思い出すことがある。

ある暑い夏の日、私は楽器可の物件を探していた。精神的にせっぱつまっていた時期で、すぐにでも住む場所を探さなくてはと思いつめ、炎天下を歩き、片っ端から不動産を訪ね歩いた。
どこへ行っても楽器所持者というだけで断られ、だいぶ疲れきっていた。もうそろそろ帰ろうかと思ったその時、古びた不動産屋が目に入った。ここがダメなら帰ろう、そう決めて戸を叩いた。
【地元に根ざして40年、安心と信頼の~】と書かれた自動ドアは壊れ、もはや手動ドアだった。なんとか滑り込めるすきまだけ作って店に入ると、タバコの煙で視界は霞んでいる。奥に座る店主らしき男は総金歯で、ぎょろりと目をむいている。歳は60代といったところか。

「楽器可の物件!?ありますよ!!」立ち上がりもせず、狭い店内に響き渡る怒鳴り声を張り上げた。いちいち居丈高な態度は好かないが、物件はありがたい。そのまま、近くにあるというアパートに、店のポンコツカーで向かった。楽器可というわりには壁が薄そうで、音は外まで丸聞こえに違いなく、おそらく誰も苦情を言う人が居ないというだけのことだろう。気になったのは部屋が1階であることだったが、庭には一応フェンスもあるので大丈夫だろうと思った。

 

数日後、やはり他には物件が見つからなかったので、再度、不動産屋に行った。男は金歯を全見せし、知り合いがやってるから隣のスナックで飲ませてあげよう今日はタダで良い、と言った。契約が済んで外に出ると不動産屋に並ぶ細長いシャッターが開き、やがて60代くらいの白塗り女が出てきた。女は、金歯男がかつて市議会議員に立候補して全くの鳴かず飛ばずだったことを金切り声で話し、金歯男は負け惜しみを言いながら店を出て行った。その後、白塗り女との弾まない会話の中でわかったのは、どうやら金歯男がスナックに出資しているらしいということだった。私は金歯男の下卑た感じや、白塗り女の、上からものを言う感じを若干軽蔑しながらも、あの壁の薄い部屋に一人で戻りたくなくてこんな場所に留まっている自分が悲しくなり、沢山飲んでやった。女はいやな顔をしていた。最後には儀礼的に、また来てね今度はお父さんやお友達を連れて、といわれた。二度と行かなかった。

 

その後しばらくして、ピアノを弾き始めると3階から庭に水が降ってきたり、玄関の扉を思い切り叩かれたり、洗濯物を取られたりと被害が相次いだ。金歯不動産に連絡しても誰も出ず、近所の交番へ訴えても全く対処してもらえず、たいそう辛い毎日を送っていた。

ある時、街を歩いていると、よたよた歩く金歯男とバッタリ出くわした。かつてのギラギラと下卑た感じは消えうせ、やつれたおじいさんになっていた。手には薬袋を持っていた。少しかわいそうかと思ったが、私も日々恐怖におびえているので、いやがらせについてとうとうと語った。男は「大家さんに言っときます」と言って去った。状況が変わることはなく、3階の住人が留守の時間に急いでピアノをさらった。(この時期に3階の目を盗んで、3曲入りミニアルバムを毎月制作していた)

その後すぐに、更新の時期が来た。次の物件が決まっていないので仕方なく再訪した不動産屋は相変わらず煙まみれで、男はワードと苦闘していた。結局、パソコン操作に手間取ってしまい、契約書は後日、家まで持ってきてもらうことになった。2日後(操作に2日かかったのだろうか?)震える手で渡された書類には、「香辛料は1ヶ月分」と書かれていた。かわいそうだとは思ったが、あとでケチがついても困る。間違いを指摘すると、おびえた犬のような目をして「直してきます」と小さな声で言って帰っていった。

2日後、ポストに修正後の書類が入っていた。

 

その後も3階からのいやがらせは熾烈を極め、こちらが少しでも音を出すたびに物が降ったり、騒音の倍返しが来た。もう我慢の限界なので、インターネットを駆使し、音楽物件を専門に扱う不動産屋を使って引っ越しを決めた。決めたその日、金歯不動産に電話をすると、珍しく男が出た。引っ越しますと告げた瞬間、「大家さんに言ってくださ~い!!!」の叫び声とともに電話は切られた。

一体何がどうなっているのだろう?この不動産屋は何の仕事をしているのだろう?ぼんやりとした脱力感に包まれながら、引っ越しの準備を急いだ。

引っ越しを一週間後に控えた寒い日、知らない番号から電話がかかってきた。出ると始めて聞く不動産会社からで、金歯男さんが亡くなったので代わりに担当します、とのことだった。いつ亡くなったんですか、原因はなんですか、病気ですか、と聞いても要領を得ない。なんだか気味が悪かったし、後味も悪かった。

引っ越しの日は雪だった。かじかむ手で荷物をトラックに預け、駅まで向かう途中、わざわざ金歯不動産の前を通った。びっしりと物件情報が貼られた自動ドアは壊れたままで、隣の細長いスナックもシャッターを下ろし静まり返っていた。物件情報に混じって、選挙ポスターのコピーが見えた。これが白塗り女の言っていたことか。この小さな城が金歯男の全てだったのだろうか。ヤニにまみれた部屋、色あせたポスター、細長いシャッター。どうしてあんなにいつも大声を出していたのだろう。奥さんや子供は居たのだろうか。

車窓から、雪で覆われていく薄汚れた街が、ゆっくりと遠ざかっていった。

 


香辛料、ときくたびに、いつもこの出来事を思い出す。