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作曲家・富山優子 音に言葉

日々之音楽・思考・言葉

十八日目の奇跡

物は燃やすと灰になる。人の想いは見ることも計ることも燃やすことも出来ないのに、どうして人間の中をいっぱいにするんだろう?

 

東名阪ツアーの初日である5月4日に、大阪へと新幹線で移動中、ふと思い出した。

4月下旬に行われたおばあちゃんの四十九日、翌日は父と二人で、洋服箪笥一つぶんを整理した。曾祖父の代から住み続けていた家屋、この程度の整理は序の口である。自分の数々の引越経験から、「もしかしたら使う」と思って残したものは下手したら次の引越までにも使わないと知っているので、古い衣類や雑貨は冷酷な心で『いらないBOX』に入れ続けた。おばあちゃんは裁縫も得意で、古い型だが丁寧に縫ってある夏物のブラウスが何着も、デパートの包装紙に挟んで綺麗に畳まれていた。だがそれを着てくれる人は、もう居ない。「繰り返される諸行は無常......」向井秀徳の歌詞が、こんなときに何故か脳裏を巡る、しかもリズミカルに韻を踏んで・・・。

買い物依存症という病気があるが、物を捨てまくる時も同じようにドーパミンが分泌されるのかもしれない。私の脳味噌は、多少麻痺していた。衣類に混じって出てきた、手縫いの、ベストを解体したような布と、おそろいの生地で作られた巻きロングスカートのようなものを、リズムに乗りながら『いらないBOX』に入れた。

 

あれは、おばあちゃんの稽古着である。お抹茶の手前を稽古する際に洋服の上から着用し、着物の所作を身につけるためのものである。私も何度か稽古のとき着させてもらい、お手軽に着物気分を味わったものだ。

 

(サンプル写真)

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それを何故取っておかず、諸行は無常的に仕分けてしまったのだろう。そのことを新幹線の中で突然思い出した私は、慌てて父親にガラケーからメールをした。整理した日から1週間が経過しており、父も割と同じタイプで決断が速いので、衣類はもう捨ててしまったとのこと。自分の潔さを呪った。いますぐにお茶の稽古が出来るわけじゃないけど、いつかはおばあちゃんの道具を使って稽古したいと思っていた。その時のために取っておけば良かったのに・・・。おばあちゃんの手縫いで、稽古で少しくたびれた、世界に一つしかない稽古着だったのに。

 

燃えたのだろうか、燃えたのだろうな。

このまま大阪で降りずに岡山まで行ってなんとかしたい気持ちでいっぱいだったが、救出する術など一つも思い浮かばなかった。潔く諦めて、寝た。捨ててはいけないものもあるのだと自戒した。

 

 

それからツアーも無事に終わり、10日ほど経過した今日、父からメールが来た。

捨てたはずの稽古着の写真だった。

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資源ごみに出すため仕分けして、明日出そうと思っていたとのこと。化繊素材だったのが功を奏したわけだ。岡山市のごみ分別に感謝した。こんなことって、あるんだ。奇跡が起こった。

またギリギリで間に合ったよ、おばあちゃん。大事に保管して、私が稽古するときには着させてもらうからね。