作曲家・富山優子 音に言葉

日々之音楽・思考・言葉

カフェ難民の大航海時代

私の生まれ育ったこの地には、カフェらしきカフェが殆どない。

いやそもそも、駅前のマクドナルドが閉店した歴史を持つ。

 

かつてマクドナルドが閉店した駅に、タ〇ーズコーヒーが出来たのが5年ほど前。当時は興奮したものだ。

それは小高い駅の前にあり、窓から目前の墓地がよく見渡せた。

墓地の向こうには、市役所や住宅地が広がっている。

私はその店をたいそう気にいっていた。優雅に茶をしばきながら自分の慣れ親しんだ街が見渡せるのも気分が良かったし、いつも客が少なくて解放感があった。店内のインテリアがシックで落ち着けるので、本を持って行けば一杯の飲み物で幾らでも居られた。季節によっては、可憐な花をつける墓地の梅がよく見えた。

しばらくぶりに訪れると、お気に入りのカフェは足つぼ店に変わっていた。看板の前で棒立ちになり、しばし言葉を失った。

 

その後、googleマップで調べのついた市内のカフェらしき洋菓子屋さんやパン屋の一角やファミレスにはおおよそ足を運び、自分の中での居心地ランキングをつけたりしていた。「NPOがカフェを開こうとしたが至らず、無料立ち寄り所となっている」カフェのような空間がなかなか面白く、散歩のついでに何度かタダでお茶とお菓子を頂いたものだ(最近、正式にカフェ営業を始めたぽい)。不自由ゆえの楽しみは様々にあったが、決定打となるカフェには出会えずじまい。そもそも、カフェらしきカフェなど見かけない土地柄である。カフェよりも、梨直売所の数のほうがよっぽど多い。多摩川と多摩丘陵との狭間に位置し、梨畑と田んぼが広がる文化果つる地。子供の頃は特に、そんな印象を持っていた。

今はそんなニッチ感を大いに気に入っているが、子供の頃はそうでもなかった。若いとはそういうものである。

 

そんな日々に最近、変化が起こった。学生の頃はアイディアに詰まったら真夜中によく散歩していた川沿いに、一戸建てが作られ始める。そこの1Fでカフェ営業を始めるのだと・・・メシア現る!張り紙を見た私は狂喜乱舞し、興奮しながらしばし川沿いをやみくもに歩いた。平日の仕事疲れに、休日のすがすがしい朝に川を眺めながら、癒しの一杯が楽しめるに違いない。とうとう近くにカフェらしきカフェが出来る・・・。待ってみるものである。

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3月末にオープンだという。心のはしゃぎが止まらない。

春とカフェの訪れを大切に待ちわびていた私のもとに、唐突な一報が入った。

 

【来春、スターバックスがオープン】

まずこの一文に驚愕する。おらが村にスターバックスが出来るなんて!

以前に鳥取県スターバックス一号店がオープンした際は長蛇の列ができ、「スタバかスナバ(砂場)か」なんて陰口も囁かれたものだが、今回も似たような胸騒ぎがする。現場に急行すると、想像どおり、梨畑の跡地に建物が出来ていた。

 

画面右側のブルーシートは隣の梨畑

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おらが村は、ここ最近で開発が進んでいる。田畑は建売住宅に変わり、山を削った跡には巨大な集合住宅と保育園と小学校とスーパーマーケットと墓地が作られた。ほとんど一生がそこで完結しそうである。中学生の時にマラソンで走ったこともある山林を開発する計画は随分前から持ち上がっており、反対する住民の動きも若干あった。当時の私はそれに賛同していたわけでもなく、何もないこの土地が少しは開発されて発展したらいいのにとすら思っていた。

しばらくして、緑深い山は削られて徐々に平らになり、日々舞い上がる砂埃で家の中がじゃりじゃりするのには辟易した。そうして今、緑の土地があっという間に規格化されたのを見て、昔の印象がどんどん消えていくのを寂しいと思った。田舎の村感がけっして大好きだったわけではなく、変わっていくのがただ寂しいと思った。

思い立って図書館へ行く。ゼンリンが毎年発行している大型地図を、30年前からつぶさに見比べる。郷土資料に載った昭和後期の写真では、田畑に沿う舗装されていない道路を、古めかしい車が走っている。そうだ、そういえばこんな風景だった。諸行無常は世の理、変わらないでいることは出来ないから、せめてたまに思い出そう。思い出すことで、語り継ぐことで、亡きものは束の間そこに存在できるから。

 

そんなことを考えながら、ナシバのあと地に建ったスタバでお茶を飲んでみたいものである。否、まずは imacoco coffee の今後を危惧している。