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作曲家・富山優子 音に言葉

日々之音楽・思考・言葉

思い出の中を生きる存在

先日、大泉洋の主演映画『アイアムアヒーロー』を観た。

有村架純は最初から最後までトンでもなく可愛く、長澤まさみは多少の変化はみられるものの綺麗で、たいへん目の保養になったのだが

なにしろゾンビ映画だった。

ゾンビ映画というものを初めて観た。怖いものが大の苦手で、ホラー映画は気まぐれに『リング』を観たのが最後かもしれない。(いつ の話だろう)
怖い映画は苦手なのだ。
なので、そもそもゾンビ映画を観たことがなかった私が、なんの気まぐれか『ズートピア』と迷った挙句の選択だった。

 

夜おそい回にもかかわらず女性の一人客が多く、しかも皆さんはゾンビ映画に慣れているのかとても冷静で、私のように「うわぁ」「ヒ ィ」と小さな声でビビって目をそらす者など一人も居ない。
大スクリーンの中でゾンビ達は盛大に血しぶきを上げ、頭蓋骨が半分陥没したまま人間を襲って噛みついている。その生命力たるやすさまじく、だが彼らは既に死んでいるのだ。なぜゾンビは人間に噛みつくのだろう。ゾンビは死んでいるのだから腹が減っているわけではなく、より多くの仲間を増やすために人間を襲っているのだろうか。地球上から人間を滅し、ゾンビだらけの安泰なゾンビ王国を造り上 げるのが彼らの最終目的なのだろうか。なにしろゾンビの予備知識がほぼゼロなので、いろんなことを考えながら、次々と迫りくる恐ろしい画に怯えながら半泣きで最後まで観た。

 

映画そのものは面白く、いろいろ考えさせられるところもあった。だがゾンビのビジュアルが怖すぎる。

 

人間を襲わない時のゾンビが何をしているかというと、うなり声をあげてそのへんをうろついたり、生前の行動を繰り返したりしている。買い物が好きだったゾンビは買い物の真似事を、陸上選手だったゾンビは走り高跳びを何度も何度も繰り返している。見た目は恐ろしいが、行動は平和である。「彼らは思い出の中を生きているのよ」というセリフがあった。
「思い出の中を生きる存在」で世界が満たされたら、それはそれで平和なのかもしれない。ゾンビがゾンビを襲うことはないだろう。人間のように腹をすかせたり争ったり傷つけあうことなく、めいめいの思い出の中で永遠に生きるそこはゾンビの楽園。

 

人類が長い間ずっと望んできた永遠の命と平穏が手に入るのに、なぜ人間はゾンビを恐れるのか?なぜゾンビの頭をカチ割るのか?
それはおそらく、自分が自分でなくなることに耐えられないのだろう。ゾンビになってしまえば人間でなくなったことを後悔もしないだろうが、人間である現在はゾンビになった未来の自分が想像できない。未体験でわからない状態=死を恐れるのと同じだ。
とすれば、不老不死の薬を人間が手に入れたところで、本当にそれを飲めるだろうか?飲めないのじゃないか?
人間は、未体験でわからない不老不死を恐れるのではないか?

 

そんなことを考えながら、駅やホームにうろつく人々が全てゾンビに見える23時台の夜を走って帰った。当然だが誰も襲ってきたり噛みついてきたりはしなかった。平和に感謝。
帰ってからゾンビについて調べたところ、呪術で死体を甦らせて労働力として使っていたという昔話もあるらしい。なるほどゾンビとは現代のAIともいえるか。