作曲家・富山優子 音に言葉

日々之音楽・思考・言葉

about reading a story

中村文則『王国』
衝動と孤独の表現が、際立って美しい。


読書は好きだが何故だか小説が読み辛くなってからしばらく経っていたのだが、ここ最近ボチボチと小説を再び読み始めることが出来ているのは何故かと考えていてフト思い当たったことがある。

その頃は徐々にインターネットでブログサービスが手軽に使えるようになり、様々な個人ブログが公開され始める。初めに見たときは衝撃を受けた。これって日記・・・?個人が日記を他人に見せている。日記とは鍵をかけて机の引き出しにしまっておくものだろう・・・?見てはいけないものを見てしまったかのような罪悪感とは裏腹に、若干の興奮を覚えた。と同時に、私小説を読んだときと似たような気持ちを味わった。他人の心の中が、生活の中身が垣間見えてしまう。後ろめたさと快感。
そしてまた逆の立場も味わう。誰が見ているのかわからないけれど、想像上の大海にわが身を晒す心地よさ。このとき自分の中から、孤独感を癒す選択肢としての小説がなくなっていったのだと思う。

小説を読むのは大変だけれど、インターネットを流し読みするのは簡単だ。小説を書くのは大変だけれど、ブログを書くのは簡単だ。それから時は流れ、SNS隆盛のご時勢にちっぽけな自己承認欲求は簡単に満たされる。わたしはあなたに夢中でした。だってさみしくないんだもの。直接会えば疲れもするし、電話も相手に遠慮してしまう、メールは返事が来ないと淋しさ増しますし、という心境のときに、他人の心を覗き見できるシステムは格好の癒しとなる。


その仕組みをようやく自覚したいま、”逆に”SNSよりも小説を読みたいと思った。賢い作家先生のその筆力で、その表現力で、私を圧倒して頂戴!


写真は『セロ弾きのゴーシュ』の1ページ。野鼠の親子に向かってゴーシュが「おい、おまえたちはパンはたべるのか。」と尋ね、それに対する親鼠の返答

「いえ、もうおパンというものは小麦の粉をこねたりむしたりしてこしらえたものでふくふく膨らんでいておいしいものなそうでございますが、そうでなくても私どもはおうちの戸棚へなど参ったこともございませんし、ましてこれ位お世話になりながらどうしてそれを運びになんど参れましょう。」

かほどの鼠親子が転がるようなテンポよい長文、ここちよい。

 

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