作曲家・富山優子 音に言葉

日々之音楽・思考・言葉

アメトーーーーク【キャンプたのしい芸人】記念エッセイ

【まえがき】
現在、十一月の自主企画に向けて4枚目のアルバムを鋭意製作中です。それと並行して、ライブで配布しているチラシの印刷分を配り終えました。
増刷してもよいのですけど、十一月からは新作アルバムを載せたチラシを使いたいので、それまでの間は新感覚のチラシを色々作ってみようと思います。今回はエッセイです。

 

【キャンドル☆ナイツ】
八月三十一日は、四谷天窓コンフォートでのキャンドルナイトだった。ほかにもキャンドルにまつわる出来事があったかどうか、思いをめぐらせてみる。
一時期は、よく入浴中にキャンドルを焚いていた。余りにも疲れすぎた夜などに、風呂の電気を消し、音楽プレイヤーで気に入った曲を再生し、ゆらめく炎をただ見つめる。不規則なゆらぎを生み出す炎を、いつまででも見ていられる。ノルウェーだかのテレビ番組で、ただ薪が十二時間燃え続けるさまを放映したところ視聴率が20%超えだったとかいう話も、今なら納得できる。火を眺めていると、だんだん瞑想状態のような意識の境地になってくるのが心地よくて、雑念が払われ気持ちも落ち着いてくるのだ。

 

とあるバラエティ番組で、お笑い芸人さんがキャンプにハマっている話をしていた。現代の芸人さんは漫才やコントだけでなく、テレビ番組でのトーク力、小説やエッセイなどの文、俳優としての演技力、などなど様々な方面で才能を発揮している。このときの出演者は、お笑いコンビの相方が売れて一人で色んな番組に出演している間は仕事がなく、暇な時間にキャンプを始めたところ見事にハマり、一人で無人島へ渡って焚き火を見つめているらしい。番組内でじっさいに一人で道具を持ち込み、火をおこし、気にいっているというジャンベをポコポコ叩いて無邪気に笑っている様子が、心から楽しそうだと思った。私も火を燃やしてみたい。

 

翌日、さっそく車でホームセンターに向かい、テントなど飾ってあるアウトドアコーナーを覗いてみる。今までは恐れ多くて立ち入れなかった本格的なエリアだ。ステンレス製の立派なバーベキュー台や燻製の機械など、誘惑も多い。どれもこれも便利そうで楽しそうで、当初の目的を忘れてしまいそうになる。ちがうんだ、そんな立派な調理台ではなく、焚き火台が欲しいんだ。熊のようにグルグルとうろつき、やがて一万円弱の金網つき焚き火台を見つけた。何かをホイルに包んで焼くことも出来るらしい。素晴らしい…。こちらを使った素敵な焚き火ライフが思い浮かぶ。焼きそばやソーセージなどを焼いて食べたのち、燃やせるものは全て燃やし尽くす。火を眺めるための折りたたみ式ディレクターズチェアも買った。燃えさかる火で湯を沸かし、淹れたコーヒーを片手に座って、ちらつく炎を眺めるのだ。コーヒーのためにステンレス製のマグカップも買った。完全に浮かれている。
さて肝心の燃やすものだが、火を作るために薪を買うのが、なんだか馬鹿馬鹿しく思えた。そんなに何もかもを金で用意して良いのか?という気持ちだ。番組内では、落ちている木を拾って燃やしていたのを思い出し、同じようにしてみたかった。しかし現場に木が落ちているとは限らない。そうだ丁度、虫食いの被害にあった庭の木を切ったばかりで、大人の腕ぐらいの丸太がいい具合に乾いていたな。それらを燃やそう。

 

ときは五月、屋外が気持ちよい季節に初めての焚き火は無事に成功した。油分を多く含む月桂樹の枝が、音を立てて豪快に燃えていく。なんという爽快感、そして高揚感。夕暮れ時の肌寒さも、焚き火の有難さを実感させてくれた。それから何度か焚き火をし、季節は夏になり、灼熱の屋外に閉口してアウトドアを控えていた。もうそろそろ秋の入り口になり、焚き火に絶好の季節がまたやってくる。燃やせる枝を求めてウロウロし、何かを焼いて食べたら、コーヒー片手に焚き火をいつまでも眺めていたい。