嫌いだけど利用する、そんなものがあるだろうか?
満員電車にコンピュータ。金をもたらし健康を奪う。
真夜中のコンビニエンスストア。金を余計に支払い健康を害する。
そんなのはいやだ!(ナンチャッテ)
facebookを見るのは精神衛生上よくないと結論づける研究があって、facebook閲覧後に孤独感や嫉妬心を抱くユーザーは3分の1という調査結果も出たとか。
参照元
http://matome.naver.jp/odai/2136561439087814201
そういった面はあるかも。友人たちの楽しそうな写真を眺めつつ、仕事と休息を繰り返すだけの日々においては、自らの色褪せた日常が際立つばかりである。
友人の投稿も、友人同士のやりとりも、いつもいつも楽しそうだ。
しかしインターネットその魔窟に存在し続けること自体が、自分にとっては精神衛生上あまりよろしくない。思考を奪われる。依存しがちな性分だとわかっているので、スマートフォンは恐ろしくて持てない。
facebookでは、フレンドの数だけ他人の日常が更新され続けている。それを見続けるのは、世界のニュース番組を見続けるくらい時間と思考力を使う。twitterに溢れ返る短文は、はたまた暗号か?読み解くのにも脳力を使う。
昨日の帰り道でも、車内はスマートフォン片手の人々ばかりだった。こわい。そんなにも常に脳を動かし続ける必要があるのか?
寝て、本を読め。
と言いつつ今週は某雑誌の原稿書きや某雑誌のインタビュー2本など色々とお付き合い頂き、楽しかった。
文章を組み立てて書き表す行為は、そうそう誰にでも出来るわけではない。書き手の着眼点が読み手に伝わるよう、注意を払って考えられるべきものだ。だからこそ複数の手により精査されなければならないのだろう。
個人ブログだったら、「すっごーーーく楽しかった!!!!!」って長音とビックリマークを沢山つけておけば、楽しかったんだなってことは伝わるんだろうし、そもそも、インターネットに転がしとく程度の文章じたいが、練って書くほどの内容でもないんだろう。
とまぁ、個人ブログなんでダラダラ書いていますが。
1年くらいかけて本を1冊書いてみたい。
ブログから広まっていった内田樹さんの文章は、どのように書かれてきたのだろうか。ブログ以前から文章を沢山書いてきたのだろう。おそらく手書きで。
手書きからコンピュータへとツールが変わっても、日本語の構造そのものは大きく変化していないし変わってほしくない。
本を読もう。
精神医学の本を沢山読んでいます。私小説とエッセイの違いは、あるようでないんじゃないかと思っています。