作曲家・富山優子 音に言葉

日々之音楽・思考・言葉

満開の桜の下で

喉の静養の為、余り長時間の練習は避けている。ぽっかり空いた時間の中で、以前より頼まれていた楽譜を作成することで辛うじて何もしない状態は免れたものの、最近にわかに興味を持ち始めた日本語による思考からは逃れ難く、とはいえ私のように長年勉強らしい勉強を怠けていた者が公開の場に文章をしたためるなぞおこがましい…止せ…止せ!………思考しないようにすればするほど思考してしまう悲しい性に逆らえず、此処に記す。個人の備忘録程度に思って頂ければこれ幸い。

寒さが緩んで桜がほころび始めるまさにこの時期、毎年きまって思い出す感傷がある。あれは学生の時分に、本分を半ば見誤って足を踏み入れた演劇の世界、今にして思えば全くもって学生の遊びごとであったのだが、当時を振り返るにあれは集団強走とでも言うべき強引さで3ヶ月ごとに芝居を打ち続け、自分に至っては最終的に自作品の脚本・音楽・出演の3役に手を染める暴挙に出ており、呆れ返るほど熱中していたと同時に精神的には病みきっていた。ある一時期だけ狂信的に持ちうる集中力の源は一体何であったのか、憧憬であったか、怨恨であったか、荒廃に至る過程の詳細を思い返そうとする度に記憶の道筋が遮断されるので言及は避けるが、その年は3月に自作の芝居を上演し、異例の速さで4月に次の上演を控えてはいた。私はその芝居に乗らなかった。乗れなかった。乗ることが出来なかった。自作の芝居が終わったのち、ボロボロになった心と体を抱え、しかし何もしないでこの場所に身を置いておくのは居たたまれず、突発的にパリへ行った。名目上は、留学中の友人を訪ねること、親戚の家に宿泊すること、何でもよかった、直ぐには日本に帰って来られない状況であれば、何だってよかった。パリでは、ルーヴル美術館にもオペラ座にもコメディ・フランセーズにもヴェルサイユ宮殿にも色々行ったし、新しい友人も出来て下手くそな英語で四苦八苦の会話もしたが、全ては、過去を思考しないように、現在が出来るだけ埋まるように、時間つぶしをしていただけなのだ。本当は、次の芝居に乗りたかった。芝居さえ出来れば、それでよかった。でも出来なかった。芝居すら出来なかった。3週間ほどブラブラしてから日本に戻った頃には桜がほころび始めていた。荷物の整理もしないで何日かぼんやりと過ごしていたら、あっという間に桜が満開になった。4月に上演された芝居を観に行った記憶はある。内容は殆んど覚えていない。舞台を直視することが出来なかった。嫉妬する自分を始めて意識した。嫉妬は無力感にも似て、初春の生暖かい空気とともに私を弛緩させた。遠くでヘリコプターの音が聞こえた。パリへ逃げても、何も変わらなかった。相変わらず私は強気で臆病だった。公演が終わってから逃げるように会場を後にし、満開の桜で埋め尽くされた上野公園を通り抜ける間、陽気に騒ぐ花見客の光景はパリよりも遠かった。それまでの何よりも遠かった。