作曲家・富山優子 音に言葉

日々之音楽・思考・言葉

祖母の旅立ち

岡山県に住む祖母が亡くなりました。

ここ数年はガンと戦っていまして、良くなったり悪くなったりする中、容体が急変してしまいました。

 

享年89歳と、長生きしてくれました。昔から良く病気をしていたせいで、体には誰よりも気を遣う人でした。本人は、もっと生きる予定だったみたいだけど・・・。

3月末には会いにいく約束をしていて、切符も予約していました。

祖母は高齢にもかかわらず携帯メールが出来、遊びに行くねと書くと嬉しいよと長文のメールを送ってくれました。一文字ずつ入力するのに、とても時間をかけていたと思います。

そのメールも、日を追うごとにおぼつかなくなって、ひらがなが増えていったのが辛かった。

 

祖母は、何人もの親族を見送りました。墓参りや供養など、まめにする人でした。遊びにいく度、私たちに伝える事柄を記した紙が何処に置いてあるか、死後に何をして欲しいか、何度も話してくれたものです。その話を聞いてしまうと、今すぐにでも亡くなってしまうようで、あんまり聞かないようにしていました。

まめというか心配性というか、その紙も何度も書き直した跡があり、大事なものも何度か移動していたようで、この度はみんなで家中を何度も探して少しずつ見つけました。

 

お葬式も、本人の希望通りに出来てたかな。不備があったら、ごめんね。希望のお着物を着せてもらって、綺麗にお化粧もしてもらって、お棺に入ったおばあちゃんは可愛かった。いつもおしゃれで可愛かったおばあちゃんと一緒に出かけるのが楽しかったです。

 

おばあちゃんが居なかったら、私たちは存在していなかったよ。

いろんなことを教えてくれて、ありがとう。

いつも優しくしてくれて、ありがとう。自分だって具合が悪いのに、手紙はいつも私の心配ばかり。

おっとり見えても実はすっごい気が強くて、昔に家族でトランプをしていた時に、負けると滅茶苦茶悔しがっていたのを思い出す度に、血のつながりを感じるよ。

若い頃から趣味人で、お抹茶・お煎茶・お花・書道・コーラス・社交ダンス・・・よくそんなに色々やってたね。美術展や焼き物を見に行くのも好きだったね。

お茶のお手前を教えてくれるときは厳しかった、けど楽しかった。

この季節には、何度も梅を見に行ったね。着物も着せてくれたね。

もう少しで会えたかもしれない、また一緒に梅が見られたかもしれない、って思うと悔しくてたまらないから、最後におばあちゃんと会った去年の夏を思い出すことにするよ。東京へ帰る日、部屋の段差に並んで腰掛けて、長くしゃべったね。いつもはそうでないのに、その時は何故だか去りがたくて、そんな変なところで、なんでだろうね。

いつも体に気をつけていたから、健康番組とかに出てきた食べ物はどんな効果があるとか全部メモしてて、そんなにたくさん朝からアレ食べてコレ食べて・・・って順番に食べていったら一日が終わっちゃうよ、って言ったら笑ってた。

 

仏教によると、四十九日までは一週間ごとに、生前の素行について問いただされるそうです。故人が迷わないよう、生きている人たちがお経をあげて応援してあげるのだとも。私に出来ること、少しだけど。

 

おばあちゃん、沢山の愛情をありがとう。またあそびましょ。