作曲家・富山優子 音に言葉

日々之音楽・思考・言葉

昨日見た映画『フェイブルマンズ』

月に春霞。たぶん花粉。映画終わりに夜道をそぞろ歩き、すまぁとふぉんを覗き込む。

きのう観た『フェイブルマンズ』が、けっこう面白かった。スピルバーグの自伝的映画と聞いていたので輝かしい活躍を見せるかと思いきや、出自にまつわる影の部分だったり、家庭内問題だったりを経験しながら映画に惹かれていく過程を描き、なんだかんだでこれからハリウッドで働くぞ!と期待に満ちた場面で終わった。

 

主人公は『映画に取り憑かれた』とか『他のことに興味なし』などの天才系でもなくて、一般への適応障害やトラウマからのパニック障害をもち、他の選択肢を排除した結果、致し方なく映画を志したように見えた。青年になるまでに彼が経験した家族問題やエディプスコンプレックスは、のちの作品に埋め込まれ、スタイリッシュなビジュアルと相まって、観客の深層的無意識を揺さぶってくる。

スピルバーグにとって映画作品を作ることは、忘れたいくらい苦しいのに忘れられないほど甘ったるい青年時代までの断片を追い続けることだったのかな、となんとなく感じた。それくらい母親がエキセントリックで憎たらしいほど魅力的に描かれる。

ものを作る人を題材にした作品は面白い。深層と表層。わたしたちの目には表層しか見えないけれど、読み取って考えるうち深層に触れる。それは少し正しかったりする。