作曲家・富山優子 音に言葉

日々之音楽・思考・言葉

いまが夢でも夢でなくても/久々雑記

前書き、垂れたい。

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さて。
今夜も長いです。



ばらばらに存在していたこころとからだが一致するかのように、過去への未練が過去への懐古と変わっていくようすが確実に見えた。「そうしなかった」複数の私は、もはや肉眼で見える残り屑となって散らばっている。あとはそれらをかき集めて箱の中へ収めればいい。
存在を悔いていた過去の私が、現在を肯定する私によって受け入れられる。まぶしい・・・世界は常に、知らない一歩先でいっぱいだ。私の知らないあなたと、あなたの知らない私が出会いを待っています。


やっぱり風邪ひいたんかな・・・耳の後ろが何度か痛むので薬を飲んだら即座に気絶してた。眠りから醒める直前の一番気持ちが良い頃合、夢・時々うつつの状態に聴こえてきた音楽を確認しようとピアノに向かったら、半音ずれとる!音感がめちゃくちゃだ。そういやあの人も、風邪の時には音感が狂うと言っていたっけ・・・脳内の音と発せられる音がずれたまんま、また更に調がずれていく音楽を弾く・・・なにこれきもちいいや。そういやソルフェージュの勉強する前の世界ってこんなんだったな。音に名前が無いかんじ。音同士の関係が絶対じゃなくて相対になる。こういうこと、ギターだったら簡単に出来るんだよね。ギターがうらやましい。ギターまじでいろんな意味でうらやましい。ノイズがたくさん出る。ストロークしてるだけで場が持つ。ピアノみたいに整いすぎていない所が魅力的だ。神様もしも生まれ変われるならば次は「物心つく頃にはいつの間にかギターが弾けている私」にしてください。そうなったらなったで、ピアニストに憧れたりしてさ。いつでもないものねだり。でもいずれにしろ歌は歌えるほうがいいな。


頭と心と体は3つとも異質なものだと思ったんだよ。それぞれが別のセクションに普段は居て、何か行動を起こすときには集合して「どうすべ」って相談しているような。実際には、並行に機能して情報を伝えあう作業を、物凄いスピードで流れるように行っているのだろうけれども。とはいえ、ここで「頭」と呼ぶものは言い換えれば「言語化された思念」で、「心」は「感覚」のことで、「体」は「動く肉体」のことで、あっそうか自分はまだそれだけしか使ってなかったんだ、他にもあるはずなのに。って考えてたら、美術畑の人々のことを思い出した。あのひとたちは、言語化できないものを視覚化する中で、たぶん、まだそれでは表現しきれてないって言語を使っていつも考えてる、ように見える。それは音楽でも演劇でも一緒っちゃ一緒なのだが、美術と違う点は、人間が動いて何かをしているから、パフォーマンスの間は止まることなく何らかを言えているような気がしてしまって、それがパフォーマンスの良さでもあり落とし穴でもあるように思えてならないのです。ようは最近、こうやって文章を考えるのがまた好きになったといえるかな。オチは特にありません。


夢から醒めた夢、胡蝶の夢、夢にも幾つかあるけれど、私は今の夢が結構気に入っているし、いまが夢でも夢でなくてもどっちだっていいや、何故なら私にはまだまだこれから、沢山たくさんの作りたい音楽があって、沢山たくさんの知りたいことがあるからです。明日から新学期ですね。引き続きどうぞよろしくお願いします。