作曲家・富山優子 音に言葉

日々之音楽・思考・言葉

ニッポンの私。歌曲を書く。

音楽大学で勉強していた時は日本語の歌曲を書くのが苦手だった私がいまやっている音楽は歌モノなので、歌曲を書いているといえます。
しかも学生時代の習作は他人の詩に曲をつけて提出しました。(萩原朔太郎さんの一編を使わせて頂きました)

今は自分で歌詞を書いていて、ことばと音楽の融合って
まじ難しいんだけど。
って、いつも思います。本当にこればっかりは自己流で工夫するしかなくて、いつもモゴモゴしながらやっています。いや作曲も習ったから良い作品が出来るなんて甘いもんじゃないと、ずっと思ってるし、ほんで、いやそのそりゃ音楽やってるわけだから音楽面が充実しているのはよいことだけど、歌をやるならやっぱり歌詞も充実させたい。愛やファンタジーを音楽にするのは意外と簡単であるなか、作家として独自の視点でもうちょっと工夫できると思うし、既存の作品の中でも楽曲と歌詞を切り離した状態で歌詞だけ見てもすごく良いなぁと思える歌詞が沢山あって、そんな良い歌詞が音楽と上手に一体化してはじめて、すとんと胸に落ちてくる、っていう体験が幾つかあって、その都度、ことばと音楽の力を思い知るのであります。

そういう点では英語の曲に関して、私は随分と損をしています。この単語をこのフレーズに当ててるのが良いんだよなー、とか、ほほうそのイントネーションでこんなメロディにしましたか、っていう楽しみ方が殆ど出来ない。喋るだけでもリズムと抑揚がついてくる英語が面白いなー、と最近、原語で書かれたマザー・グースを読んで思いました。

だがしかし、こんなにもひしゃげた浅い発声で、母音と子音が均等に並べられ、大した抑揚も無く、リズム感もテンポ感も乏しく、音楽的には最高にカッコ悪くて歪な日本語のこと、けっこう気にいっているかも。言い回しが、本当に沢山あるからね。その妙味が日本語圏でしか味わって頂けないのはちと残念ですが。あと見た目。歌やセリフには直接関係が無いけど、ひらかなカタカナ漢字を好みの割合でブレンド出来るのが素敵すぎマス。好きデスJAPANESE。