作曲家・富山優子 音に言葉

日々之音楽・思考・言葉

1月28日(木) ヤバイの森

朝の電車に、高校生らしき3人の女の子が乗り合わせた。一人はスマートフォンを熱心にいじり、大声で友達に話しかけている。

「やばくない?」「やばくない?これ」「やばくない?」「ねね、やばくない?」

スマートフォンにでかでかと表示されているのは女性の谷間。あっという間にサイズアップする下着に対して興奮していた。

談笑の合間、急にスイッチが入ったかのように同じ単語を連発する。しかも、けっこう速いテンポで。四分音符=120くらいのテンポで。しばらくするとまた談笑に戻る。

何回くらい言っているのか気になって数えたところ、2駅に到着する4分間の間に25回は言っていた。

誰でもサイズアップする魔法のような下着があるらしい、この事実に対する驚きを一語で表現しようとするのは無理がある。「すごい下着だ」「本当なのか」「自分も大きくなりたい」「無理だと思っていた」「そんな自分に朗報」「嘘かもしれない」「だってこんなに簡単」「買ったら」「信じられない」「試してみたいが」「この写真は欧米人だろ」「日本人には無理なのでは」「でもライターさん日本人」「いけるのかも」「にしても着けるだけで」「画期的発明」「すごい下着だ」・・・以下ループ。彼女たちがハシャいでいるテンションから推測される“驚き”の大きさに対して、これくらいの言葉数を発さないと伝わらないはずなのだが、たった一単語でこれだけの意味を共有できているのだとしたら、もはや超能力に近い。もしかしたら彼女たちは、『想いの強さ』みたいなものを共有できるだけで十分なのかもしれない。上記した会話を交わしたとしても、『熱』や『テンション』が発生しなければ、彼女たちにとっては不十分なのかも。

 

だが自分も人のことは言えぬ。日常における言葉噛み、勢い余って飛び出た謎の単語、使用法の間違いには、発した瞬間に気づくのだがそれをいちいち訂正すると興も削がれるのではないかと杞憂して、そのままにしてしまい、のちのち反省することが多々ある。失礼や誤解を招く使用法は極力避けたいので、態度で「好意的ですよ」と示すしか修正法はない。それが出来ない点では、電話が苦手だ。

ライブにおいても演奏よりMCのほうが混乱しているのは、ご覧下さったお客様であればお気づきであろう。ここ最近のライブ中は音楽に没頭するあまり、曲間にますます上手く喋れなくなっているのでさすがに考え、先日のライブでは事前に言うべきことを書いておいたが、書いてあることを言い終えてからもなおつれづれなるまま心にうつりゆくよしなしごとを喋り続けてしまった。話したいのか話したくないのか、もはや自分にもわからない。

 

伝わるように話すのは、どうにも難しい。否、大抵の日常会話というものは理路整然からほど遠く、頭に浮かんだ事柄をそのままダダ漏れさせることが多いが、用途に合わせて話を組み立てるのは訓練が必要だ。テレビ番組『すべらない話』を観ていると、話し手それぞれのテンポ感や引付けるポイントや落としどころが比較できて面白い。お笑いだけではなく、例えば学校の先生なんて極致だろう。内容をわかりやすく正確に伝え、生徒たちに考えさせ、教訓を与える話し方を、先生方はいったいどこで身に着けてこられたのであろうか。感服するばかりなり。

 

追記すると、今日あらたに知ったことは、「やばくない?」に対する返事は「やばい」であった。呼応があったのか。「やばくない?」は、同意を求める言葉としても機能するのだ。「それ、わかるぅ~~~」と同じような、共感・同意を求める女性ならでの使用法である。