作曲家・富山優子 音に言葉

日々之音楽・思考・言葉

うたかたのうたがた 3

野良物、住所不定につき

「部屋を片付けられない」という意見には常に疑問を感じている。先日も同じことを言っていた友達と激論を交わした。その友達は、例えば家の飾り棚には可愛らしい雑貨と共に、洗ったか洗ってないのか不明な靴下が転がっているという。買った食品や取り出した小物は「しまい込むと忘れる」という理由から、平面上に並べているらしい。他にも、干そうと思っていた羽毛布団が部屋の隅に転がった状態で半年が過ぎた、など、まるで都市伝説のような怪奇現象が次々と明らかになる。一つずつ検証していこう。

もともと物が多いことが嫌いなので、必要最低限しか物を持ちたくない。それでも知らずのうちに物とは増えていくため、定期的にいま目につく場所にある物を一つずつ指さして「使っている、使っていない、使っている、」と確認したのち、「使っていない」と断言された物はクローゼットにしまう。1年以上しまわれた物たちは、家から処分する。使ってない物は無くても困らないのだ。これは原則的にそうだ。
しかしこのルールは、楽器やCD、ほか書物には適用されない。そもそも楽器やCDや書物など「今すぐに使うわけではないが捨てるわけにはいかない」種類のコンテンツが多いので、それ以上の生活用品をなるべく減らしたい気持ちからの行動である。

私の住居スペースにある物は既に所定位置が決まっている。何をどこにしまうかを初めに決めておき、あとは動かしたり出したりしたあとに元の位置に戻す。やっていることは、ただそれだけで至ってシンプル。散らかりようがない。この点に関しては、家族からも同意を得られた。いつぞやは一緒に暮らしていた人間同士は行動パターンが似ているのだろう。人はなぜ移動した物を元に戻さないのか?弟に尋ねてもこの点に於いて回答が得られず、どうしてだろうねえと首を傾げあった。

物には常に住所が決まっており、住所不定の物は自分で決めればよいのだ。前出の「洗ったか洗ってないのか不明な靴下」は、不明だったら洗えばよいのだ。よって、それらの現住所は「洗濯かご」になる。以上だ。
次の「しまい込むと忘れる」物に関しては、忘れるくらいならそもそも不要な物にちがいない。私だったら「使っていない」と認定ののちクローゼットにしまい、1年以上経ったら処分する。平面に並べると無限に散らかるので、人類は平面から空間へ、二次元から三次元へと収納空間を進化させていった。この21世紀に人類の進化と逆をたどるとは勿体ない。
「干そうと思って半年」に至っては、干せば良いのだ。放置後一週間経過して干せなかったら、押し入れにしまえば良いのだ。もし干していないためカビてしまっても、部屋の隅でカビるか押し入れでカビるかの違いなんじゃないだろうか。とにかく住所不定の野良物がそこらへんをウロウロしていると気になり、落ち着かない。

などと偉そうに書いているが、この答えまで辿り着くには相当の時間を要している。学生時代は洋服と漫画と謎の雑貨で溢れる部屋に住んでいた。こちらも答えはシンプルで、収納する場所が少なかったのだ。当時は愚かであり、収納場所を増やすと部屋が狭くなると敬遠していたものだが、そもそも収納場所が無ければ物は散らかって領土を侵す。しかも平面に。
かさばる収納場所を作ることを恐れない、このことにようやく気づいた。そんな人生だった。



来月はピアノ弾き語りソロで演奏します。
10月8日(日、祝前日)目黒 FJ's
10月9日(月、祝)阿佐ヶ谷 Next Sunday
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