作曲家・富山優子 音に言葉

日々之音楽・思考・言葉

パねぇ日々

6月15日

シンセユニットのスタジオ入り後、夕刻よりひさびさに友人と女二人でゆったり会合。
音楽活動のこと、最近勉強しなおしている和声、バンドのこと、音楽学校時代のこと・・・話し出すと止まらず、酒も飲まずに中国茶とハーブティーで4時間を過ごし、帰って確かめたら声が枯れてた。


いやはやいやはや。
ありがたいこってす。




6月16日

アナログシンセ実習。
抽象的な音っていうのは、いったいなんなんだろう。と考え初めてハマッている。というか、考えるとすぐにハマる。嵌る・填まる、と書くらしい。(書いたことないなぁ)考え出すと楽しく止まらないさま、でもあり、考え出すと袋小路に迷い込むでもある。後者は「陥る」といってもよろしい。

なんというかなぁ、「抽象的な音楽」という言い方は、まだわかるんだ。抽象的なものを描写しようとしているってことでしょう。というか、抽象的でない音楽ってあるのだろうか?「田園」が具体的に田園をあらわしている…わけではない。音楽はそもそも抽象的な作業だよな、演奏する楽器は具体的(ベース、とかピアノ、とかさ)だとしても…そうじゃない、そこが問題じゃなくて、いま困っているのは、じゃぁシンセで何を演奏させるかってことで、具体的な楽器音に似せて作る(ヴァイオリン音色を作ろう、など)のではなく、現存する楽器以外の音を作ろうとしたときに、良しとする設定が難しいということです。

えっとなぁ、抽象絵画ってあるでしょう。抽象的なものを描写しようとする絵画を具体的な画材で描くよね。抽象的な画材って無いよね。「段ボール」に「赤い絵の具」と「黄色い絵の具」を50パーセントの割合で混ぜて「モップ」で塗る、という具体的な作業で抽象絵画を書くこともあろう。

となるとなぁ、一緒のことで、抽象的な音を作るための材料はすごく具体的なんだな。「三角波」と「矩形波」を50パーセントの割合で混ぜて「LFO」のヴィブラートを10パーセント与える、と言葉で説明可能な具体的作業で抽象的な音を作るってことになる。
では自分の作る音楽の中に抽象的な音を使う意味はあるのか、って問いかけになってきて、この音楽には具体的な楽器音のほうがふさわしかったんじゃないか、ってなったら悲しい。そこんとこをよくよく考えるとウチコミならではの表現につながるんだろうけど、まだよくわからん。わからんちん。


で何くれとなく怒り狂いながら夜も更けたところで、友人に英語でお礼の手紙を書いたものを別の友人に添削してもらった。
手紙表現では、まずお礼を言うこと、大げさな表現が好まれること、ハンパねえっす=astonishing パねえっす=completely amazing を教えてもらった。彼は最近ヒップホップが面白くて、ニューヨークではイルでシックがパねえらしいです。



●予告

今月の21日は、吉祥寺フォースフロアにてソロライブをやります。
先日、レコーディングに参加させてもらった○ー○さんの曲をやりますねー、と約束しています。

吉祥寺フォースフロアのサイト → http://fourthfloor.sub.jp/


出番は一番最後で、21時から演奏です。
ピアノないのでアレなんですが、ソロライブの雰囲気はわかるとおもいます。



それが終わるとしばらくライブの予定はありません。
むむむのむ。
8月を中心に新曲作成とソロ録音の予定を立てているので、それと並行してライブが決まってきます。



お た の し み に !