作曲家・富山優子 音に言葉

日々之音楽・思考・言葉

音楽の喜び方

サブスク天国となった現代を泣いて喜ぶのか、はたまた憂えるのかでその人の傾向がみえてくる。

 

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最近知ったブラジルのポップスアルバムをよく聴いている。ブラジルのポップスが好きな理由は、ビートが強すぎないとかリズムを捉えやすいとか色々あるんだろうけれども、やっぱりサウダージ感に絡め取られているんだと思う。郷愁転じて喪失感や切実さみたいな感覚をいつでも思い出させてくれるのが私にとってはこれらの音楽。

そういう感覚は不安感や焦燥感とも裏腹で、ネガティヴイメージのギリギリで留まっていられる人とそうでない人の違いって何だろう?そこはだいぶ第三者的に考えられる人が留まれる人であり、「自分はこの音楽を聴いてとても寂しさを感じているが、自分に寂しい要因があるわけではない」と、どこかで思えていれば、サウダージに思う存分身を委ねても戻ってこられるように思える。試金石みたいな音楽。

先日は今年のライブ納めでした

1224日、クリスマス・イヴの昼には神保町で演奏していました。

この日は富山優子トリオでの依頼でした。今年はトリオで演奏する機会が例年に比べて多くて、ライブ納めがトリオでよかったなと思っています。

今年1番の集中で、楽しく深い演奏になったような実感がありました。

ご来場まことにありがとうございました⭐️

 

『セットリスト』

1.わたしたちは、たった。ひとりだ。

2.Lunch of Hummingbird

3.君の夢

4.War & Water

5.揺り舟

6.光のトレモロ

Enc.バタフライエフェクツ

 

最近は曲目を増やすよりも絞って即興的に遊ぶスタイル

 

 

 

 

神保町試聴室のピアノはコンディションが良くて、弾いていて気持ちがよかった。ppからffまで色んな表現を試して響かせてきました。

今回はいつもフレットレスベースの上田さんにフレッテッドベースを演奏してもらって。カッコ良さは全く損なわれず!新しい方向性が見えた気がしました。

ドラムのよしじまさんからの提案もあり、来年はトリオで制作してみることになり、本番のmcで宣言したので作ります。

 

 

企画、共演の皆様もありがとうございました!

松任谷由実『12月の雨』を演奏中

企画の山本さんと

 

来年のトリオでの活動は、なるべく制作に集中したいと思っているので東京でのライブ予定はありません。しかしまた東京で演奏の機会があったら、お知らせしますね。

 

来年も富山優子トリオをよろしくお願いいたします。

 

クリスマス・イヴの昼は、まだクリスマスじゃない

もう明日なんですねー、と宣伝。

ここ一年は時間の流れが本当に速くて、まさかもう年末だとは思わなかった・・・!というくらい、あっという間に感じられるほど楽しく仕事していました。

明日の昼ライブは、今年に出会った人たちのことをたくさん思い浮かべながら、楽しみたいと思います。ぜひいらして!

 

2023年12月24日(日・昼)
神保町 試聴室
『マジカルコネクション vol.90』

開場 / 開演
12:30 /
13:00

出演
石田力 / 大口沙世 / 富山優子トリオ


料金
予約3,000円(1ドリンク、スナック込)

予約・お問い合わせ
神保町試聴室
〒101-0065 東京都千代田区西神田3-8-5 ビル西神田1階


名古屋のイベントオーガナイザー・山本さんの東京企画が今年も開催されます。

悩みも楽しむしかない。

仕事ばかりしている場合ではない、曲を書こう。

と思ったのが先月末。

人間は、やろうやろうと思うだけでなかなかやらない生き物だから、

やると宣言して自分を追い込んだらいいじゃない!と考え、

「今年中に新曲を録る!」と、SNSの小さなコミュニティでだけ宣言を行なった。

 

今年中といえども残り1ヶ月の中で、働きながら新曲を作ってブラッシュアップして録るまで終えるのはきつい。

とはいえ、勝算があったから宣言したのである。

石橋を叩いて、なかなか渡らないタイプ。

ちょうど年末に、とある方と合同で作品を録る予定になっていて、

「そこでは新曲が2曲は必要なんだけど、まだ作ってないや〜」と余裕に見せかけて内心は少し焦っていた。そこにハッパをかける意味合いもあって、先の宣言に至る。

 

やると決めたら動きは速く、1週間もしたら2曲が出来た。1週間で出来た、とはいえ、今まで内面に蓄積したものが表出したと考えれば、蓄積1年作業1週間といえなくもない。

 

なんというか経験を重ねるごとに慎重になるものだと思いませんか?初めの頃は勢いやフレッシュさもあって、書けた曲は振り返ることなく発表してきたものですが、経験や知識が増えるに従い徐々に残された領域が狭くなっていくというか・・・。これって既存のアレみたいかも?これって面白いのかな?そんなふうに心の声に惑わされると、文字通り手も足も出なくなってきて、とても苦しくなる。知識と経験をそのままに、過去の自己曲を忘れてしまいたい!

毎日こつこつと書いてコンスタントに発表している作家さんって、そのあたりをどう思っているのか気になる。「また同じ言い回しを使ってしまった」なんて考え自体が、どうでもいいことだったりするんだろうか。

 

そのあたりを実感するためにも、いつまでも作り続けるしかないんだろうなーと思いつつ、年末の録音の準備を引き続き行うのであった。悩みも楽しむしかない。

 

放置してしまったブログに多少の文字を

最近どうにも文章を書こうと思う気持ちが薄れていて、なんでかなと振り返ってみた。

思えば今年度から始めた仕事では、人生を聞き取って記録することを大量にやっている。

他人の書いた情報を読むことも多くて、無駄を削ぎ落とされた文章にまみれて生きている。

 

情報量は多いけど、言葉のニュアンスに触れることが少なくなったと感じる。

自分が今まで書きたかった文章とは、情報ではなかったようだ。感覚や感情を、なんとかして文章化したくてジタバタする努力が、好きだったんだろうと思う。

最近は特に、複数のSNSに文字や写真を分散させて載せて、それで満足しちゃっているのかもしれない。よくないわ。

あと書店に行って本を手に取ってみても、すぐに結論を書いてほしいと思ってしまう。Youtubeで本の要約を観ても、要点以外は飛ばしてしまうし。

知識のファスト化だ。やばいじゃん。

 

動画や写真じゃなくて文字を書くにあたり、リズムや音韻を楽しみながら書いたり読んだりしていたはずなのにね。いつのまにか知識の授受になっていたのかな。

 

noteというツールも使ってみたことがあったけど、あんまり続かなかった。有料化とか、カテゴリランキングとか、知らないうちに枠に入れられ競わされる感じがした。

結局、自分の手が届く範囲でマイペースにやるのが気楽なのかもしれない。ここのブログみたいに。

 

なんの結論にも達してないけど、今日はひとまず自分の文章を書く練習ということで。

なんでもそうだよ。やらなきゃ出来なくなるし忘れるんだ。毎日のように教科書を読まされていた頃は文章も書けて当然。書いてなければ書けなくなって当然。

また気が向いたら書きます。